私には2人の子供がいますが、子供たちの成長のためにどのような子育てが良い方法なのか、とても悩みますよね。
私の小学4年生の長男は医師になりたいという夢を目指して、今は中学受験に向けて勉強中です。
今では薬剤師をしている私も、学生時代は医学部を目指していました。
理由は、年の離れた2人の兄が国立医学部卒の医師だったためです。
恥ずかしながら当時の私も、

将来は医者になってるんだろうなぁ
と考えていました。
この記事では、学生時代の私の学習への向き合い方や、薬剤師になった経緯をお伝えします。
今の子供たちに比べると、子供時代の私は勉強への意識は低かったと思いますが、医学部はもちろん薬学部を目指す場合でも、それ相応の大学を目指さなければなりません。
この記事を見れば、子供の将来に悩んでいる方々が、学生時代にどの程度勉強に向き合うことで医師や薬剤師になれるのか?という疑問が解消できるはずです。


勉強への意欲を高める方法:小~中学校時代
私の小学生時代は、習字、硬筆、公文、金管バンド、ピアノ、バレエ、合唱隊など、とにかく興味を持った習い事に明け暮れており、殆ど勉強していませんでした。
私には成績優秀な2人の兄がいて、九州でトップクラスの公立高校(偏差値70以上)に在籍していました。
中学1年生の時、私も漠然と同じ高校に行くのだと思っていましたが、、中間テストや期末テストで自分の学力のレベルを思い知ることになるのです。
自分の知識レベルの低さに愕然とし、現時点では到底無理であることを思い知りました。
そこから部活や習い事と並行して、地元の塾に入ることになったのですが、ここが勉強のスタート地点です。もちろん、最初は最下位クラスからのスタートでした。
同じ部活の同級生が上位クラスで学んでいる姿に、悔しい思いをしたことを今でも覚えています。
見逃しがちな授業への取り組み姿勢
これまでは、なんとなく授業を聞いて、いかにノートを可愛くするかを意識していました。
いわゆる勉強をしているフリですね。ノートが纏まっていれば親や先生は褒めてくれるし、これが勉強と思い込んでいました。
しかし、塾の同級生が先生の話を理解しようと真剣に授業に臨んでいるのをみて、初めて授業に集中することの必要性に気づきました。



そんなの当たり前だろ?
と思うかもしれませんが、これが意外に難しいものなのです。
授業で先生が発した言葉を抜けもれなく聞き取るには、途轍もない集中力を必要とします。わからない場合は、その場で質問をし、授業外に持ち帰らない工夫も必要です。
それでも理解できない場合は、理解できなかった点のみをノートにまとめ、復習して塗りつぶすスタイルを確立していきました。
これだけの単純なことなのですが、このスタイルを徹底するだけで面白いように成績があがっていったことを覚えています。
これはいくら親から「集中して授業を聞きなさい!」と言われても気づくことができません。
中学校で勉強する習慣を身につけた私は、底辺から一気に上位層に駆け上がりました。
勉強により獲得した小さなステータス
中学1年のときは、



インドはインドネシアの略語だよ?
とドヤ顔で言っていた底辺の私でも、成績が徐々に上がるにつれて、



あのコ、意外と頭がいいらしいよ?
と周囲の反応が変わっていきました。
その小さなステータスが心地よく、より一層勉強に励むようになりました。
これが勉強をする好循環の始まりです。このサイクルに入ると習慣化が盤石なものとなります。
ここまでくると、楽しみながら友達と成績の競争ができ、何より学ぶこと自体に楽しみを感じました。
今思い返してみても、中学3年間のおかげで勉強の本質に気づき、最も成長できた時期だったと思います。
もちろん並大抵の努力ではありませんでした。
負けず嫌いでとことん突き詰める性格なこともあり、休日も部活等が無い日は塾に通い朝から夜までみっちりと勉強していました。
そのおかげで、中学3年には学年トップになるほどの実力になっていました。
その甲斐あって、兄と同じ偏差値70以上の公立高校に合格することができました。


国立医学部を目指した高校時代
県内トップの公立高校に進学した私は、意気揚々と学生生活を過ごしていました。
しかし周りには各中学校のトップクラスの子たちが集まっています。私のような努力型の人間だけでなく、明らかに天才的な記憶力の持ち主の子たちもいます。
彼らは部活に傾倒していると思いきや、模試で全国トップクラスなんていうこともザラにあります。
当時、兄2人は国立の医学部へ合格していたこともあり、なんとなく自分も医学部に行きたいという目標を持っていました。
しかし、周囲に比べ地頭がよくない私は努力で補うしかありません。高校1年の頃からコツコツと勉強を継続し、中の上くらいの成績を維持していました。
努力では乗り越えられない壁
高校2年の頃になると、部活に力を入れていた同級生達が真剣に受験勉強に取り組み始めます。そうすると元々地頭が良いこともあり、うなぎのぼりに成績が上昇していきました。
一般家庭の私が医学部に行こうとする場合、私立医学部は何千万と学費がかかるため、国立の医学部しか行くことはできません。
そうなると、学年でトップ10以内に入るくらいの学力を維持できなければ到底国立医学部には手が届きません。中学の時にように休日も勉強漬けの毎日を過ごしましたが、それでも思うように成績は上がりませんでした。
そのうちに様々なプレッシャーからストレス性の過敏性腸症候群を発症してしまいました。
結局、大学受験では国立医学部への学力には遠く及ばず、私は浪人する選択をしました。
トップランクの公立高校に在籍していても、その中のトップクラスにいなければ国立医学部には到底太刀打ちできません。
このときに、努力では超えられない壁があると痛感しました。
医学部を目指した浪人時代
浪人生専用の塾では、クラスの中には医学部入学を目標にして、何年も浪人している人が大勢いました。
初めの頃は模試でも上位に入るくらいの成績でしたが、持病の過敏性腸症候群が悪化し、なかなか集中できませんでした。
塾を最大限利用出来ず自宅学習がメインとなり、最後まで国立の医学部に合格できる力はつきませんでした。


浪人1年目の受験の年が、薬学部4年制最後の年度でした。
持病のこともあり、浪人2年目は考えられなかったので、私は医学部をあきらめざるを得ませんでした。
塾側とも相談し、国立医療系学部と私立の薬学部を受験し、どちらも合格することが出来ました。
医学部が難しい場合は薬学部という気持ちが強かったのですが、4年制とはいえ私立の薬学部に入学・卒業するにはかなりの学費がかかるため、金銭的な問題が大きなネックとして圧し掛かってきました。
国立医療系学部は私の将来像とは違っていたため、正直かなり悩みました。
そんな中、特別な奨学金制度を2つ同時に利用できることがわかり、親も薬学部への入学を承諾してくれました。
医師の夢を諦め、いざ薬学部へ
このような経緯があり、私立の薬学部へ入学することとなりました。
金銭的に余裕のない私は、親元を離れて学生生活をスタートすることとなりました。
私立の薬学部は裕福な家庭の友達が多く、サークルや飲み会で学生生活を謳歌している人がほとんどで、傍から見ていて正直羨ましかったです。
奨学金を二重で借りている私には、住む世界が違うように見えました。
大学4年間、私は個人指導塾のアルバイトなどで生計を立てつつ勉強もしっかりと継続していきました。
無事に国家試験にも合格し、薬剤師国家資格を取得することができました。
薬学部卒業後の進路は?
薬学部からの就職先として多いのは、
- 病院
- 調剤薬局
- ドラッグストア
- 製薬会社(研究・開発・MR)
私は地元に戻りたい一心だったので、全国転勤のある製薬企業への就職は希望しませんでした。当時ドラッグストアへの就職も少数派だったこともあり、選択肢に入れませんでした。
これにより「病院」か「調剤薬局」の2択になったのですが、当時の卒業生からは、



病院で経験を積めば、その後調剤薬局に転職することは出来るけど、調剤薬局の後に病院へ転職するのは難しいよ
とアドバイスをいただいていました。
病院と調剤薬局の両方を経験した今でも、このアドバイスは間違っていなかった思います。
病院薬剤師として社会人の第一歩を踏み出す
元々医者になりたいと考えていたこともあり、より医療現場に近い病院薬剤師として就職したいという気持ちが強くなりました。
しかしながら、病院で勤めるということは人の死に直面する機会が増えることを意味します。
今の6年制の大学では病院と調剤薬局と両方の実務実習を行っていると思いますが、私の時代の実務実習では病院か調剤薬局のどちらか一方にしか行けませんでした。
しかも病院実習は2週間しかなかったため、薬剤師業務を浅く知ることのみでした。
そのため、地元の調剤薬局に相談し、特別に1週間見学させてもらうことにしました。
色々と熟考を重ねた結果、私は病院薬剤師として就職することに決めました。
地元の総合病院や中小病院を数件見学させていただき、職場の雰囲気を確認するなどいろいろと飛び回りました。
希望する病院への就職が決まった時は、親と一緒に泣いて喜んだことを今でも覚えています。
そうして私は地元の総合病院の薬剤師としての社会人生活をスタートするのでした。
このように、幼少期から目指していた医者という夢には到達できなかったのですが、薬剤師という第二の目標に向かって突き進んだ学生時代でした。


まとめ
これまで紹介してきたように、国立大学医学部と薬学部では学力レベルに大きな違いがあります。
現在、小学校4年生の長男が医師になりたいと言っているのですが、偏差値70以上の高校に入り、その中でトップ10に入るくらいの学力がなければ、到底国立大学の医学部には合格できません。
これは20年ほど前のことではあるのですが、今でも大きな変化は無いように思います。
医者を目指して勉学に没頭してきた私としては、子供が同じ道を歩んでしまわないか不安です。
しかしながら、実現したい夢を口にする子供の目が輝いていることは親としてとても嬉しいものです。
少しでも子供の夢の実現に向けたサポートをしていきたいし、途中で別の道に行きたいと言い出したときにも、それを全力で応援してあげられる親で在りたいと思います。
医学部に届かないと挫折を味わっていた私にとって、薬剤師の選択肢は非常にありがたいものでした。
これは勉強を習慣化してきたからこそ、別の選択肢を持つことができたと思うし、この選択は間違っていなかったと考えています。
私も子育てに悩む一人の親ですが、正解がない中でも子供が元気に成長をしていく後押しをしていきたいと思います。
これからも薬剤師関連の情報を発信していきますので、引き続き応援よろしくお願いいたします。

